1974年東京大学経済学部卒業。1979年米ロチェスター大学大学院経済博士号取得。専門は国際経済学。東京大学大学院教授を経て2016年4月より学習院大学国際社会科学部教授。6月より東京大学名誉教授。税制調査会委員、復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員、社会保障制度改革推進会議委員、公正取引委員会独占禁止懇話会会長などの要職を務める。ビジネスの現場で、生きた経済を理論的観点を踏まえて鋭く解き明かす「ウォーキング・エコノミスト」として知られ、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などメディアでも活躍中。「入門経済学」「ゼミナール国際経済入門」「ビジネス・エコノミクス」「ゼミナール現代経済入門」など著書多数。
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伊藤 元重東京大学名誉教授/学習院大学 国際社会科学部 教授
“ウォーキング・エコノミスト”が語る、
世界経済・日本経済のこれから
<第16回>2017.06.07
世界各国の多様な格差問題
ピケティの議論
格差問題が世界の様々な国で注目を浴びている。何年か前にフランスの経済学者トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』が世界的なベストセラーになったのも、この本が格差拡大の構図を非常に明快に分析しているからであり、世界の多くの人が格差の拡大を実感しているからだ。
もっともピケティの描く格差の姿は、彼の母国フランスや英国のような欧州諸国であれば説得力のあるものであるが、日本を含む他の国で同じような理解でよいのかは疑わしい面もある。欧州では、ごく一部の人たちに不動産や金融資産が集中し、それが自己増殖的に増えていって格差が拡大していく。これがピケティの描いた姿だ。本の中の有名な式である、金利が経済成長率よりも高いというものは、金融資産の拡大のスピードが経済全体の成長スピードよりも速く、結果的に経済全体の中で金融資産のウェイトが拡大していく。それが格差拡大の背後にある。
米国では資産格差よりも所得格差
米国でも格差の拡大は顕著だが、その実態は欧州とは大分違ったものだ。欧州では先祖からの資産が子孫に受け継がれ、それが拡大することで資産格差が大きくなっているということが、格差の基本的な姿だ。米国でもそうした動きがないわけではないが、米国では資産格差よりも所得格差の方が目立つ。ITの世界で大成功したアップル、アマゾン、グーグルの創業者は、いずれも移民の2世である。親からの資産を受け継いで豊かになったのではなく、自分の力で富を築いたのだ。
ただ所得格差という視点で見れば、米国の格差は確かに広がり、この30年ほどのトレンドをみても、学歴が高い人とそうでない人の所得格差は確実に広がっている。一方で年収200万円以下という世帯が多数いる中で、一人で何十億円も稼ぐ経営者やスポーツ選手などもいる。日本の常識から見れば、同じ人間でこんなに所得の差があってよいのだろうかと思える。
こうした格差の広がりのもっとも重要な要因は技術の変化である。グローバル化によって格差が拡大したという議論もあるようだが、学問的には技術要因の方が重要であるという見方の方が有力だ。
日本では、格差問題というよりは貧困問題
こうした欧米に比べれば、日本の格差の程度ははるかに小さなものである。社長の給料と企業の初任給の比率は、海外に比べればずっと小さい。海外の人にトヨタやキヤノンの社長の給料を言うと、そんなに低いのかとびっくりする人も多い。皆が同じサラリーマンであるということが、賃金格差を小さくしているのかもしれない。
日本では欧州のような資産格差も生まれにくい。その大きな理由は遺産相続税の税率の高さだ。ベンチャーなどで成功した起業家がシンガポールなどに移住するのは、日本の高い所得税や遺産相続税を避けるためだ。それだけ、日本は金持ちへの税金が重いということだろう。これを好ましいと考えるかどうかは、その人の立場によっても違うだろう。
さて、そうした日本でも格差の拡大を強く感じる人が増えている。正確に言えば、格差の拡大というよりも貧困の蔓延と言ったほうがよいだろう。かつての日本は学歴に関係なく、真面目に働けばそれなりの所得を稼げた。一億総中流と呼ばれる現象だ。別の言い方をすれば、中間所得層の厚い社会構造であったのだ。これは社会の安定という意味でも大きな意味を持っていた。
しかし、近年の動きを見ると、この中間所得層の厚みが減ってきて、その分貧困層と呼ばれる人が増えている。正規の労働に就けずに不本意な形で非正規労働者として低賃金の仕事を続けている人、シングルマザーやシングルファーザーの低所得世帯、年金だけの所得で苦しい生活を強いられる高齢者など、低所得の人々が増えている。さらに問題なのは、そうした人たちの子供の貧困率が非常に高いということだ。貧困家庭の子供は十分な教育を受けることができず、貧困が定着することになりかねない。
こうした負の連鎖を打ち切るためにも、教育を社会全体で強化することの重要性を指摘する人が増えている。政府の中でも教育政策を抜本的に見直そうという動きが顕著になってきており、今後の政策について注視していきたい。
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