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プロの視点

伊藤 元重東京大学名誉教授/学習院大学 国際社会科学部 教授

“ウォーキング・エコノミスト”が語る、
世界経済・日本経済のこれから

<第9回>2016.12.14
トランプ大統領の貿易政策

工場立地への介入

トランプ氏は大統領選挙の際、度々激しい保護主義的な発言をしてきた。TPPから脱退する。北米自由貿易協定(NAFTA)を見直すことで、メキシコから低価格の商品を入れなくする。中国などからの輸入に高額の関税をかける、などといった発言だ。

トランプ氏がこうした発言を繰り返した背景には、ラストベルト(錆びた地域)と呼ばれる米国中西部の厳しい経済的現実があった。エディ・マーフィーが主演をするビバリーヒルズ・コップという映画を見たことがあるだろうか。デトロイトの警官であった主役がロサンジェルスのビバリーヒルズで活躍する話だ。

この映画では、デトロイトとビバリーヒルズは全く違った世界として描かれていた。自動車業界などの衰退で、ネズミが徘徊するような荒廃した街としてデトロイトは描かれていた。一方のビバリーヒルズはピカピカの建物が並ぶ街だ。同じ米国でもこれだけの違いがある。これが選挙の結果に大きく左右した。今の米国の政治に不満を持っている層が、トランプ氏に票を投じたのだ。

こうした背景を考えれば、トランプ政権が保護主義的な政策を打ち出すことを懸念する声が上がるのは当然だ。大統領に就任する前から、すでにそうした動きが見られる。インディアナの工場を閉鎖して労働者を解雇し、メキシコに工場を移そうとしていた空調メーカーのキャリアを名指しで激しく非難した。結果的に、キャリアはインディアナの工場の雇用を維持することを約束させられたが、政治による個別企業の経営に対する介入である。

トランプ氏は、メキシコに工場を出そうとしているフォードにも批判の矛先を向けている。フォードは、もともとメキシコでの生産に積極的に取り組んできた企業であった。米国企業が自国での生産を縮小して、メキシコに生産拠点を移すことを苦々しく思っている米国の労働者は多いだろうが、トランプ氏はその声を代弁していることになる。

今回のキャリアやフォードへのトランプ氏の介入は、日本企業にとっても人ごとではない。20年ほど前に北米自由貿易協定が締結されてから、米国市場への輸出基地としてのメキシコの重要性は日本企業にとっても大きくなる一方であったからだ。日本の自動車メーカーや機械メーカーは、メキシコでの生産能力を拡大するために積極的に投資を行ってきた。メキシコから米国市場への貿易に高い関税がかかるような事態になると、日本企業の北米戦略も見直す必要が出てくる。当面は今後の動きを注意深く見て行くということだろう。

貿易摩擦の再燃

トランプ政権の流れでもう一つ気になるのは、米国の政治全体が保護主義的な色彩を強くすることだ。1980年代から90年代にかけて、米国の企業は日本企業を狙い撃ちにした措置を次々に打ち出してきた。その典型が反ダンピング提訴である。日本企業が不当にダンピングしていると提訴することで、日本企業からの譲歩を引き出そうというのだ。

この20年ほどは日本企業をターゲットにした貿易摩擦案件は非常に少なくなったが、また貿易摩擦が再燃ということになると、日本企業にとっても厄介なことになる。自動車、鉄鋼、機械などの分野では、米国企業はこうした通商政策を積極的に活用しようという傾向がある。政権が保護主義的な姿勢を強くすれば、企業もそうした環境を利用しようとするだろう。

1980年代の米国は、日本の巨額の貿易黒字を批判してきた。貿易黒字はマクロ経済の流れの結果として出てきたものであり、日本の政策によって生まれたものではない。また、政策によって貿易黒字が変化するというものでもない。それでも、当時の米国は日本の貿易黒字を前面に出して日本叩きを行ったのだ。その結果が、いろいろな業界での貿易摩擦であった。

近年は、日本の貿易黒字が問題視されることは少ない。ただ為替レートについて、米国の政治は非常に敏感になっている。中国に対しては、為替介入で不当に人民元を安くしていると批判を強めている。日本政府は為替介入をしているわけではないが、円安が続けば何らかの形で批判が強まる可能性は否定できない。

貿易黒字と同じように、為替レートもマクロ経済の動きの結果であり、政策によって大きく動かすことは難しい。米国の圧力に対応して為替レート政策が変わるということはないだろう。それでも、「不当な円安への批判」という圧力を背景にして、米国企業が日本に対して反ダンピング提訴などを仕掛けてくる可能性はある。

貿易摩擦が広がることは、日米の経済関係にとっても好ましいことではない。トランプ政権がまだスタートしてもいない時期から不要な想像をする必要はないが、貿易政策に関する今後のトランプ氏の発言には注意しなくてはいけないだろう。

Profile

伊藤 元重
Itoh Motoshige

1974年東京大学経済学部卒業。1979年米ロチェスター大学大学院経済博士号取得。専門は国際経済学。東京大学大学院教授を経て2016年4月より学習院大学国際社会科学部教授。6月より東京大学名誉教授。税制調査会委員、復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員、社会保障制度改革推進会議委員、公正取引委員会独占禁止懇話会会長などの要職を務める。ビジネスの現場で、生きた経済を理論的観点を踏まえて鋭く解き明かす「ウォーキング・エコノミスト」として知られ、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などメディアでも活躍中。「入門経済学」「ゼミナール国際経済入門」「ビジネス・エコノミクス」「ゼミナール現代経済入門」など著書多数。