1974年東京大学経済学部卒業。1979年米ロチェスター大学大学院経済博士号取得。専門は国際経済学。東京大学大学院教授を経て2016年4月より学習院大学国際社会科学部教授。6月より東京大学名誉教授。税制調査会委員、復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員、社会保障制度改革推進会議委員、公正取引委員会独占禁止懇話会会長などの要職を務める。ビジネスの現場で、生きた経済を理論的観点を踏まえて鋭く解き明かす「ウォーキング・エコノミスト」として知られ、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などメディアでも活躍中。「入門経済学」「ゼミナール国際経済入門」「ビジネス・エコノミクス」「ゼミナール現代経済入門」など著書多数。
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伊藤 元重東京大学名誉教授/学習院大学 国際社会科学部 教授
“ウォーキング・エコノミスト”が語る、
世界経済・日本経済のこれから
<第15回>2017.05.17
インドは目覚めるのか
進化するバンガロール
インド経済は本格的に成長軌道に乗ることができるのか。インドに出張するたびに、このことを自問自答することにしている。残念ながら、何十回も行った中国と比べて、数回しか行ったことがないインドについて詳しい情報を持っているわけではない。ただ、1995年に初めて訪問してから現在に至るまでの訪問で、インドの成長発展について感じることがある。
2ヶ月ほど前、インドに久しぶりに行く機会があった。今回は経済産業省の調査ミッションであるので、興味ある現場を見ることができた。調査の目的がAIやIoTなどの技術革新に関することであったので、インドのITの中心にあるバンガロールを訪問することになる。
私たちが訪問したシスコの「キャンパス」は壮観だった。グーグルやシスコなどのIT企業は、研究所のことをキャンパスと呼ぶことがある。大学のキャンパスのような自由な雰囲気の中で研究開発をしているというメッセージが込められているからだろう。
シスコのバンガロールのキャンパスも、まさに大学のようだった。綺麗な庭が広がる中に何棟ものビルが建ち並び、そこで多くの若い研究者が自由なスタイルで研究をしている。シスコはルーターの設計などから始まった米国の巨大企業だが、その世界の拠点の中でもこのインドのキャンパスは最も大きなものの一つのはずだ。おおよそ1万人のスタッフがここで働いている。
20年ほど前に設立されたシスコのバンガロールの拠点は、20年たって1万人のスタッフを抱えるまでに成長したのだ。これはマイクロソフトなど他の企業も同じような状況である。
インドは多くのIT技術者を輩出することで知られていて、米国のシリコンバレーでも、多くのインド人が活躍している。このバンガロールのキャンパスでも、世界中と繋がった形で研究開発が進められ、多くの野心的な若者の研究活動を見ていると、日本よりも先をいっているような感じだ。
インド人の研究者が言っていたが、テクノロジーの「民主化」が始まっているという。民主化というのは、誰でもやる気さえあれば、IoTやAIなど最先端の研究に参加できるという意味だろう。シスコのキャンパスで働いているエンジニアは皆とても若く、インド国内の工業大学などを卒業した人が多い。
眠れる8億人?
大都市だけを見ていたのでは、インド経済を見たことにはならない。これは現地の専門家などからよく言われることだ。現地に滞在するある日本人の専門家に言われたが、2億人は成長に向かって動いてきたが、残りの8億人が動かない。これがインドの成長を遅くしている、というのだ。
2億人とは都市住民のことだ。この部分は、私がバンガロールで見てきたように、グローバル化の中で大きな変化を遂げてきた。問題なのは、農村部にいる残りの8億人の存在である。この部分にほとんど変化がないので、インド全体としての成長スピードは非常に遅いというのだ。念のために言っておくが、2億人と8億人というのは正確に数えた人数ではない。ただ、インド経済のイメージとして出てきた数字だ。
8億人以上とも言われる農村社会では、この何十年で大きな変化はなかった。人々は生まれた村からほとんど離れず、農業に依存した生活で、金銭取引はほとんど拡大していなかった。農村部から都市部へ大規模な労働力移動が起き、それが経済発展の原動力となった中国とは大きく異なるところだ。
なぜ、インドでは労働の大移動が起きなかったのか。この点については様々な議論があるが、発展途上国としては珍しいことではない。いわゆる貧困の罠が働いており、農村社会が市場経済の中に組み込まれることがなかったのだろう。インドだけでなく、パキスタンやバングラディッシュ、あるいはアフリカの多くの国も貧困の罠から抜け出せないできた。
情報化が促す農村人口の流動化
こうしたインドの農村社会に今大きな変化が起きつつあるという。その原動力となっているのが、携帯電話やスマホであるという。携帯電話は急速な勢いでインドの農村社会に入りこんでいる。これによって農村部の若者が村の外へ出始めているという。家族と携帯電話でつながっていることで、家から離れたところに出ることの抵抗が少なくなったのだ。外の様々な情報が入るようになったことも大きい。情報化が経済社会を変える原動力となるのは先進国だけの話ではない。むしろインドのような途上国の方がそうした力は強い面もあるのだ。
こうした若者の行き先は、必ずしもインドやデリーのような大都市ではない。むしろ、農村社会の近くにある地方都市ということが多いようだ。それでも農村から出た若者は市場経済・貨幣経済に取り込まれることになる。彼らの労働力を農業以外の分野に提供することで、地域の産業の発展に貢献することになる。
農村社会からの人口の流出は、どこの国でも経済が大きく発展するための原動力となる。人々が生存するために必要な農産物を生産するために労働力の大半が奪われるような農業社会では、それ以上の経済発展を望むことは難しい。農業から放出される労働力が多くなるほど、経済発展の原動力となる市場経済の規模が拡大していくのだ。
今回の視察で私たちは、スズキ自動車が合弁で展開しているマルチスズキの工場を訪問した。インドの自動車シェアの半分を維持する、日本からの投資としては成功事例である。大幅に生産台数を拡大する新工場計画の説明を受けた。
このインドの自動車産業は、これまではもっぱら2億人の都市人口を対象としたものであった。それでも台数ベースで見ると、世界有数の規模になろうとしている。もし農村社会の成長に火がつきそこでのモータリゼーションが広がっていけば、大変な市場になる。農村社会がインドの成長の中に組み込まれていくのか。今後の展開に注目したい。
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