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プロの視点

伊藤 元重東京大学名誉教授/学習院大学 国際社会科学部 教授

“ウォーキング・エコノミスト”が語る、
世界経済・日本経済のこれから

<第3回>2016.08.24
公的債務と将来世代の負担

シルバーポリティックス

日本の政府は1,000兆円を超える債務を負っている。これは将来世代に大きな負担を残す結果となる。それだけではない。高齢化で政府の社会保障支出は膨れ上がるばかりなのに、消費税の引き上げは一向に進まない。結果として政府の財政収支は赤字状況が続いている。これもすべて将来世代への負担として残る。

少子高齢化が進むということは、選挙で投票する人の中でシニアの割合が増えるということだ。シニアの人たちは、自分たちの生活基盤である社会保障費が削られるような改革には強く反対するだろう。だから政治家も、社会保障費の改革を強く打ち出すようなことはできない。こうした流れのことをシルバーポリティックスと言う。

現実に日本でどこまでシルバーポリティックスが強く働いているか分からない。高齢者の中には、子どもや孫の世代のことが心配だと話す方も多い。ただ、現実の政策や制度の内容は、現在の高齢者を優先して、将来世代に犠牲を強いるものが少なくない。

英国のEUからの離脱の国民投票では、高齢者が離脱に投票する人が多く、若者はEU残留に投票した人が多かった。選挙後、ある若者がテレビのインタビューに答えて、「私たちの未来は傷つけられてしまった」と発言していたのが印象的であった。

誰が国債を保有しているのか

さて、本当に日本は、将来世代に多くの負担を押し付けているのだろうか。これは経済学の世界でも多くの論争のあるテーマである。ラーナーという著名な経済学者が次のような興味深い論点を出したことがある。「あなたたちの親の世代は、子どもや孫にどのような資産を残し、どのような負担(負債)を残しているのだろうか」という論点だ。

政府が抱えている1,000兆円を超えると言われる債務は、将来世代への負担であることは間違いない。政府の債務にはいろいろな計算の仕方があるだろうが、とりあえずここではラフに1,000兆円としてみよう。これは日本の人口で割ると、一人当たりおおよそ800万円ということになる。大きな額の負担である。

ただ、この1,000兆円の債務は何も資産を残さなかったわけではない。医療や介護の利用で生まれた財政赤字は、その多くが将来世代に何も残さないが、道路や教育などに利用したお金は将来に資産を残すからだ。この資産部分を考慮に入れる必要があるので、単純な債務の1,000兆円は過大評価であり、道路などの資産を差し引いたネットの公的債務で評価する必要がある。ネットの債務で見れば将来世代に残る負担は大分小さくなる。ただ、資産をどう評価するのかは難しい。

今回話題にしたいのはこのことではない。高齢者の世代が残してくれる膨大な金融資産の存在である。皆さんの親や祖父母の世代が亡くなった時、皆さんに何を残すのか。一方では、一人当たり800万円とも計算できる公的債務を残す。ただ、仮に2,000万円の資産を預金や不動産などの形で残してくれれば、差し引きで1,200万円の資産を残すことになるのだ。もちろん、親が何も残してくれない人にとっては、公的債務の負担の800万円だけが残るということになる。どれだけ残してもらえるのかは、人によって違うことになる。

ただ、日本人全体で見ると、個人金融資産が1,700兆円あると言われる。全体で見れば、将来世代に残す金融資産のほうが、後に残る政府の債務よりも大きい。今の世代は将来世代に負債以上の資産を残しているのだ。実際、日本の政府の出した国債の大半は、日本人の預金や保険でファイナンスされている。つまり、日本の国債を持っているのは日本人であるのだ。

債務の解消

そうは言っても、これだけの債務を放っておくことはできない。これから何十年かかけて、この膨大な債務を減らしていくことを覚悟しなくてはいけない。そのやり方によっては、将来世代は大きな負担を被ることになる。

もっとも深刻な負担が出るのは、財政破綻のケースだ。その場合には、深刻なハイパーインフレになるかもしれない。そのときの経済の混乱は大変なものとなるだろう。

もう少しましなのは、財政健全化が進められる場合だ。増税が行われ、社会保障費などが大幅にカットされるケースだ。ただ、その場合には、相当な増税や歳出カットが想定される。貧しい層を中心に重い負担となるだろう。豊かな層は、国債を(間接的に)持っている層でもある。貧しい層の負担で集められた財政資金で、豊かな層が持つ国債が償還されていく。

想定されるもっともマイルドな調整は、穏やかなインフレである。それでも財政赤字を減らす財政健全化は必要だが、穏やかなインフレによって少しずつ公的債務を減らすことが国民的にはもっとも負担感が少ないはずだ。穏やかとは言っても数パーセントのインフレの生活への影響は小さくない。若い人たちには、将来そうしたインフレになっても対応を誤らないように、インフレも含めて経済の動きにいっそうの関心をもってほしい。

Profile

伊藤 元重
Itoh Motoshige

1974年東京大学経済学部卒業。1979年米ロチェスター大学大学院経済博士号取得。専門は国際経済学。東京大学大学院教授を経て2016年4月より学習院大学国際社会科学部教授。6月より東京大学名誉教授。税制調査会委員、復興推進委員会委員長、経済財政諮問会議議員、社会保障制度改革推進会議委員、公正取引委員会独占禁止懇話会会長などの要職を務める。ビジネスの現場で、生きた経済を理論的観点を踏まえて鋭く解き明かす「ウォーキング・エコノミスト」として知られ、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などメディアでも活躍中。「入門経済学」「ゼミナール国際経済入門」「ビジネス・エコノミクス」「ゼミナール現代経済入門」など著書多数。