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プロの視点

大井 幸子国際金融アナリスト

ウォール街を知る国際金融アナリスト・大井幸子が語る、国際金融市場の仕組みと動向

<第7回>2016.12.21
ウォール街と直接金融



トランプ次期大統領の登場以来、ウォール街では新たな金融緩和への期待が高まっています。トランプがマンハッタン5番街のトランプ・タワーを建設したのは1983年。華々しかった80年代のウォール街が再び戻ってくるのか。トランプもまた、アニマル・スピリットに満ちたこの時期にのし上がってきた人物です。

さて、80年代ウォール街の活気を支えたのは、レーガン大統領による金融緩和政策と金融の革新的手法、直接金融の台頭でした。直接金融とは、銀行を仲介することなく資本市場を通して直接リスクマネーを投資家から企業へと循環させる優れた仕組みです。

70年代の米国はインフレと高金利の時代でした。成長過程にある優良中堅企業は旺盛な資金需要があるものの、信用力がまだ低いために銀行からの借入れに高い金利を払わなければなりませんでした。銀行以外に資金の手だてはないのか。そのニーズに応えたのが、マイケル・ミルケン(※1)でした。彼は、信用格付けの低い企業のために利回りの高いハイイールド債(ジャンク債)を発行し、資金調達を支援しました。ジャンク債の発行体である企業にとっても、安いコストで資金を資本市場から直接調達することで成長を加速することができました。

ジャンク債は、80年代半ば頃からM&Aの資金調達手段としても利用されるようになりました。当時の米国は、国際競争力強化のために産業構造の変革を迫られていました。業界再編のために戦略的なM&Aが活用され、その資金繰りとして、買収する側がされる企業の資産もしくはキャッシュフローを担保に債券を発行し、資本市場から資金調達する手法レバレッジド・バイアウト(Leveraged Buyout; LBO)が急速に広まりました。

80年代には、ウォール街の投資銀行がパートナー(経営幹部)の自己資金でM&AやLBOを行うマーチャント・バンキング部門が急拡大しました。そして、投資銀行から独立したパートナーたちがプライベート・エクイティ(PE)ファンドを設立しました。当時からの老舗KKRグローバル・インスティテュート(KKR Global Institute)やブラックストーン・グループ(The Blackstone Group)といった大手PEファンドは、年金基金や大手機関投資家から潤沢な資金を集め、ますます巨大なファンドとしてグローバル市場に大きな影響力を持つようになりました。

ジャンク債やPEファンドに加えて、直接金融に重要なトレンドを作ったのは、証券化、「ストラクチャードファイナンス(Structured Finance)」で、企業が手持ちの不動産、売掛債権などの金融資産を担保に市場から資金調達できる仕組みです。証券化された債券の信用度は、担保の質、法的構成、第三者による信用補填という三要素でチェックされ、発行体である企業自体の信用リスクとは切り離されます。証券化の仕組みを利用すれば、格付けが低い企業でも優良資産を担保に高い格付けを得て、安いコストで資金調達が出来るようになりました。

証券化という金融技術により、住宅ローンを担保にしたモーゲージ証券(Mortgage Backed Securities; MBS)をはじめ、あらゆる資産担保証券(Asset Backed Securities; ABS)が開発され、投資家の資金を企業金融へと循環させる証券化市場が作り出されたのです。



しかしながら、ウォール街の繁栄は87年の株式市場の大暴落「ブラックマンデー」と89年のミニクラッシュで終わりを迎えます。その象徴がマイケル・ダグラス主演の「ウォール街」(87年、オリバー・ストーン監督)です。この映画で「強欲は善である」と堂々と演説するゴードン・ゲッコーは、当時「乗っ取り屋」で名を馳せたアイヴァン・ボウスキー(※2)がモデルといわれています。トランプもまた、自分の強欲を貫く典型的なゲッコー・タイプです。ボウスキーは実際、インサイダー取引で逮捕されました。

バブル破たん後、市場には不良債権の山が残されました。リセッション後、ウォール街の拝金主義やジャンク債も世の非難を浴びました。その一方で、不良資産処理には証券化の手法がおおいに利用されました。89年に不良債権処理のために整理信託公社(Resolution Trust Corporation; RTC)が設立されました。RTCは不良資産を買取り、証券化して流動化する任務を担いました。

私は当時、リーマンブラザーズ本社の債券部で働いていました。リーマンが連日、RTCのオリジネートしたMBSやABSを引受け、売りまくり、大きな収益を上げるのを見てきました。この時期は連邦準備制度理事会(Federal Reserve Banks; FRB)が金利を引き下げ、市場環境は債券市場に有利だったのです。やがて95年半ばまでに米国の景気や、担保価値も回復し、不良債権は優良債権となり投資家も大きな収益を上げて不良債権処理を目的としたRTCも解散されました。

95年にマイクロソフト(Microsoft Corporation)が発売した「Windows95」以来、米国ではIT革命が進行し好景気が訪れます。投資マネーはウォール街よりもシリコンバレーのベンチャーキャピタルに向かい、ドットコム・ブームが押し寄せました。そして、米国が先駆けたIT革命は、グローバル化を後押しし、米国で発展した直接金融の手法をさらに高度化し、グローバル市場へ広める役目も果たしました。

ところで、映画「ウォール街」には続編(2010年)があります。ゲッコーが長い服役を終えて、ウォール街に戻ってきます。そして、ヘッジファンドの姿で復活します。しかし、続編は2008年のリーマンショックやマードフの巨大詐欺事件など、その後の暗い市場を予見した内容となっています。

90年代初頭に証券化市場で儲け、発展してきたリーマンブラザーズが、まさか金融危機を引き起こす張本人になるとは、本当に予想外でした。

最高権力者となるトランプがウォール街を敵に回すはずがありません。新政権の財務長官にはゴールドマンサックス出身のスティーブン・ムニューチン氏が就任の予定で、今後はホワイトハウスとウォール街の蜜月となりそうです。しかし、国家権力者のモラルハザードに誰が歯止めをかけられるのかは、これからの見物となるでしょう。


※1:マイケル・ミルケン(Michael Robert Milken)は米国の投資銀行家。1980年代にジャンクボンドの帝王として名を馳せた。ジャンク債を使ってミューチュアル・ファンドを組むというプロジェクトは彼によって売り込まれた。

※2:アイヴァン・ボウスキー(Ivan Boesky)は米国の投資家。1980年代中盤に1980年代中盤にウォール街に於いて、卓越した投資家として名を馳せた。

Profile

大井 幸子
Sachiko Ohi

1981年慶應大学法学部政治学科卒。85年からフルブライト奨学生としてスミス・カレッジ、ジョンズ・ホプキンズ大学院高等国際問題研究所に留学。87年慶應大学大学院経済学研究科博士課程終了後、明治生命保険国際投資部勤務。89年格付け機関ムーディーズへ転職。以降、リーマン・ブラザーズ、キダー・ピーボディにて債券調査・営業を担当。2001年SAIL,LLCをニューヨークに設立、ヘッジファンドを中心としたオルタナティブ投資に関して、日本の機関投資家向けにコンサルティング、情報提供を行う。2007年スイス大手プライベート・バンクUnion Bancaire Privee (UBP)東京支店、営業戦略取締役。2009年東京にてSAIL社の活動を再開。日米の金融、政治経済面で幅広い人脈を持ち、国際金融アナリストとして活躍中。