1977年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。梅田・芝支店の後、本部企画、人事関係、高田馬場、築地各支店長を経て2003年3月に退行。1997年「第一勧銀総会屋事件」に遭遇し、広報部次長として混乱収拾に尽力。銀行員としての傍ら、2002年「非情銀行」で小説家デビュー。退行後、作家として本格的に活動。「失格社員」(新潮社)はベストセラーに。最新刊は「病巣 巨大電機産業が消滅する日」(朝日新聞出版)。フジテレビ「Mr.サンデー」などにも出演中。
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江上 剛作家・コメンテーター
金融ビジネスを知り尽くす元・銀行マン作家が語る、超一流のビジネスパーソン論
<第4回>2016.10.19
金融史に残る大事件の事態を収拾した経験から、コンプライアンスについて考える
1980〜90年代にかけて、“総会屋”に融資など不正な利益を供与して金融史に残る経済事件となった「旧第一勧銀利益供与事件」。この事件が発覚した1997年に僕は、旧第一勧銀の広報部次長を務めていました。事件発覚後は、行内に入りきらないほどの記者が詰めかけ、大混乱に陥ったことを今も鮮明に記憶しています。
この事件をひとつのきっかけとして、コンプライアンス(法令遵守)の重要性や社会的意義が世の中に浸透していくことになります。今回は、当時の様子を振り返りながら、コンプライアンスに対する僕なりの考え方を伝えたいと思います。
コンプライアンスに対する意識が低かった時代
まずは「旧第一勧銀利益供与事件」を簡単に説明しておかなければなりません。この事件は、株主としての権利を濫用し、銀行から不当に金品を収受・要求する総会屋に、不祥事発覚を恐れた旧第一勧銀が、多額の融資などを供与していた利益供与事件です。僕が行員だった1970〜80年代はコンプライアンスという言葉もなく、その意識も今と比べて低かったことは否めません。闇の勢力と企業と客の不適切な関係、金品収受が慣例傾向としてあったことも事実です。
実際、僕の身近でもお客さんからのゴルフの誘いや接待に足しげく赴く行員もいましたし、中元・歳暮が送られてくる光景も数多く見てきました。受け取る側が勘違いしていけない点は、お客さんはその行員が好きだからゴルフに誘ったり金品を贈っているのではなく、その行員が勤める銀行のカネを貸してもらいたい、融資をしてほしいという思惑があるからということ。もちろんお客さんとの関係に一線を画していた行員も数多かったのですが、そうした慣習が一部でまかり通っていては、コンプライアンスも単なる「建前」にしかなりません。
このように、スキャンダルの温床となる「建前」と「本音」の使い分けがまかり通っていた時代だったからこそ、総会屋は私腹を肥やすことができたといえます。この事件当時、広報部次長だった僕は事態収拾の先頭に立つことになります。社内だけでなく外部から経営を監視する仕組みの設置や、株主総会に対する意識改革をはじめ、さまざまな施策を打って最悪の事態を避けるべく奮闘しました。
「法令」と「社会常識」は、異なるもの
学生の皆さんの中には、「コンプライアンス」の一語を聞くだけで、「なんだか難しそう」と感じる人もいるかもしれませんね。そんな人の参考になればいいのですが、僕なりのコンプライアンスに対する考え方は非常にシンプルで、「社会常識に反することはやってはいけない」の一語に集約できます。
ここでポイントになってくるのが、「法令=法律」と「社会常識」は異なるものという認識です。法令を守るのは社会人であれば当然のことですし、公共的な役割を持つ銀行などではましてや当たり前のことです。本当に大切なのは、社会人として、あるいは行員として何かしらの事象に直面し判断を迫られたときに、まずは「社会の常識と照らし合わせた言動に努めること」です。単に法令を守ればいいということではなく、常に自分の中で社会常識と照らした判断をすること、そしてその判断の積み重ねが、企業のコンプライアンスを形づくるということを、きちんと認識しておいてほしいのです。
「死んでも構わないから、僕たちの銀行を良くしよう」
利益供与事件が社会に及ぼした影響は計り知れず、その後も反社会的勢力と銀行の癒着が次々と表面化してきました。
対応に追われる中で、こういった勢力からの不良債権回収という困難な局面も発生してきました。僕は、「社会的責任推進室」の室長としてメンバーを募り、事態の収拾に取り組むことになります。しかし相手が相手だけに、家族に危害がおよぶ可能性を弁護士や警察からも注意喚起されていましたし、メンバーの中には家族との連絡を断ち、自宅に戻らない者もいたほどです。僕たちは昼夜問わずチーム一丸となって業務に取り組みました。メンバーの疲労がピークに達した頃、ある行員がこう言いました。
──「死んでも構わないから、僕たちの銀行を良くしよう」と。
この言葉を聞いたとき、僕はその気迫に強く感銘し、強い覚悟に心揺さぶられました。
僕もほかの行員も、第一勧銀を心から愛していましたし、第一勧銀の一員であることに強い誇りを持っていました。しかし、事件によりその誇りは地に落ちてしまったわけです。僕らはその誇りを再び取り戻すために立ち上がったわけです。
常識から外れていたら、立ち止まる勇気を持つことが大事
当時の僕はかなり“泥臭い”仕事に取り組んでいたと言えます。だからこそ、前述した「社会常識に照らして、おかしいと思ったことはしない」という考え方が大いに役立ちました。改めて、金融業界を目指す皆さんにアドバイスすると、「法令、法律は守っていても、社会人として常識から外れている」と判断できた場合は、恐れずに立ち止まる勇気を持つことが大事だということになります。
僕の行員時代は、ときに「常識に反するからこれはできない」という主張が上司の判断とは異なることも往々にしてあり、対立することも少なくありませんでした。でも、皆さんにはそうしたプレッシャーにも屈してほしくないのです。いついかなるときも正しい判断が導き出せる社会人であるために、「何を基準に物事を判断すべきか」を常日頃から自問自答していってほしい……。そう、僕は願ってやみません。
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