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注目記事2016.11.09

日本における市場取引の歴史② 明治から現代の流れ

日本における市場取引の起源は、江戸時代に始まった米の先物取引であることは「日本における市場取引の歴史①」でご紹介した通りです。では、現在行われている株式や金融、債権や証券を扱う取引はいつ頃始まったのでしょうか? また、最近の動向などはどうでしょう? ここでは、市場取引の近代から現代に関することをご紹介します。

株式市場の始まりは明治時代

日本の株式市場は、1878年(明治11年)に、日本初の公的な証券取引機関である「東京株式取引所」の開設により歴史の幕を開けました。その後、全国11カ所に株式取引所が設置され、株式の売買などが積極的に行われるようになります。

ところが、昭和に入ると第二次世界大戦が勃発、戦時中ということもあり1943年(昭和18年)に日本証券取引所1カ所に統合(東京が本所)され縮小、1945年(昭和20年)の敗戦後は取引自体が中止となります。

金融の信用取引はGHQがきっかけ

証券取引所が再開されたのは、終戦から4年経った1949年(昭和24年)です。当時日本を統治していた連合軍総司令部(GHQ)の許可が下りてからのことです。ところが、その際に問題になったのが「先物取引の禁止」が再開の条件だったことです。

1949年5月に新たにつくられた「東京証券取引所」が売買を開始しますが、戦前主流だった先物取引がGHQから禁止されていたこともあり、市況は8月をピークに低迷、その後は下落の一途をたどります。

当然、株式の流動性(売買のしやすさ)を上げる必要性を求める声が大きくなり、このときに打開策として議論されたのが「先物取引の復活」か「アメリカ式の信用取引」の導入です。信用取引とは、株式や株式購入の資金を証券会社から借り入れて株の売買を行う投資手法です。英語ではマージンと呼ばれます。さまざまな議論が行われた結果、1951年(昭和26年)にアメリカ式マージン取引をモデルにした「信用取引制度」がスタートすることになりました。

証券金融会社などが出現

信用取引が導入された直後は、証券会社に十分な資金がなかったため、資金を融資する証券金融会社といった日本独自の仕組みもできました。これにより市場の流動性は上がり、日本経済の奇跡的な復興にも寄与しました。

現在は、証券会社には資金力やファイナンス能力がありますが、信用取引を利用しない(企業や政府系金融機関など)機関投資家が増えたため、市場取引全体に占める信用取引の比率は低下傾向と言えます。


インターネット取引の出現

ところが、最近になってインターネット専業の証券会社が出現したことにより、個人投資家による信用取引の比率は上昇傾向になっています。2000年頃から増え始めたオンラインでの取引により、2005年には個人投資家による取引の半分以上が信用取引を占めるまでになっています。この背景には、申込方法が簡単になったことや、証拠金(信用取引を始める際に必要な担保となるお金)が少額で済む、といったことが影響していると言われています。

まとめ

1946年(昭和21年)の新円切り替えなどで国債を購入していた富裕層の資産もなくなり、国民総貧乏の状態だった終戦直後。ところが、その後の高度成長による奇跡の復興により、日本の市場は急激に活性化していきます。戦後45年で、株式時価総額がアメリカを上回った初めての国になったほどです。その勢いは、バブル景気のピークだった1990年頃まで続きます。

バブル景気の崩壊後、日本の金融や経済は再び下降の一途をたどり、ご存じの通り「失われた20年」と言われています。今後この状況が打開され、再度上昇することができるのでしょうか?

いずれにしろ、現在の日本経済は市場の動向に大きく左右されることは間違いありません。皆さんも、今からそのことを十分に認識しておいてください。就活はもちろん、社会人になってもきっと役立つはずですから。