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注目記事2016.11.02

日本における市場取引の歴史① 起源は江戸時代の先物取引

株式や金融,証券や債権などの売買により、今や日本の企業や経済の動向に大きな影響を与える市場取引。その起源が、実は「江戸時代に行われた米市場の先物取引だった!」ということをご存じでしょうか? 取引によるリスク回避法として生まれた、目からウロコの先人たちの知恵をご紹介します。

米が経済の基盤だった

江戸時代初期の1620年代に、大坂の堂島(現在の大阪府大阪市北区)に淀屋米市場という米の取引所ができました。現在、大阪の中之島にある淀屋橋のたもとにできたこの米市場は、当時の日本にはなくてはならない流通市場でした。

なぜか? その頃の日本経済の基盤が「米」だったからです。よく「年貢を納める」と言いますが、お金よりも米の流通によって経済が回っていた時代だったのです。特に、大坂や京都といった大都市がある近畿地方は、米の取引が頻繁に行われていた地域です。中でも大坂は、船で米を運ぶための大きな港もあったため、取扱量は国内随一。その頃の日本では、約500万石の米が市場に出回っていましたが、そのうちの約4割(約200万石)が大坂だけで取引されていました。

「米手形」の発祥と問題点

国内最大と言えるほど取扱量が膨大になった大坂の米市場では、いちいち現物の米俵でやり取りするのが大変になりました。そこで商人たちは「米手形」を発行することにしたのです。「○○さんの米を、約束した日にいくらで買う」といった引換券のようなものです。

ところが、ここで価格の変動という問題が出てきました。例えば、6月1日に1石分の米を買う手形を5月1日に購入したとします。価格は当時の通貨で35匁(もんめ)と仮定すると、実際に購入する6月1日には米一石分の価格が30匁に下落。つまり、5匁の損になります。天候や天災などで生産量が左右される米の取引で事前に手形を購入することは、こういった価格変動のリスクが生じてしまうのです。

損をしないための発明「つめかえし取引」

そこで、商人たちが考え出したのが「つめかえし取引」という方法です。これは、米の現物取引をせずにお金のみが動く契約取引の一種です。現物の米の取引と一緒に行うことで、価格変動による損失を補填するために行います。 例えば、


1カ月後に米一石を40匁で売ります
同時に、米一石を30匁で買い戻します

という契約を5月1日に結んだとします。これは、前述の(6月1日に米一石を35匁で買う米手形を購入する)現物取引と一緒に行います。

そして、約束の6月1日。当日の米の価格は、これも前述と同じ一石30匁でした。この場合

現物取引:30匁(売り)-35匁(仕入れ)=-5匁
つめかえし取引:40匁(売り)-30匁(買い戻し)=+10匁
差し引き:+5匁

となり、現物取引での損失をつめかえし取引で補填できることになります。

逆に、6月1日に米の価格が一石50匁に値上がりした場合も

現物取引:50匁(売り)-35匁(仕入れ)=+15匁
つめかえし取引:40匁(売り)-50匁(買い戻し)=-10匁
差し引き:+5匁

となり、つめかえし取引では損が出ますが、現物取引で儲けが出ているため結局は損失が出ずに済むことになります。

先人の知恵が現代に生きる

このようなリスクヘッジの方法が後の先物取引の元祖、ひいては金融にまつわる市場取引の原点になっています。大昔の先人の知恵が、今も生きている好例ですね。

この1世紀後の1730年代には、米将軍と呼ばれた徳川吉宗により、同じく大坂にあった米の先物市場「堂島米会所」が初めて幕府に認められました。当時、世界でも類を見なかったこの公的な取引所では、米の売買価格を収穫前にあらかじめ決める「帳合米取引」が行われていて、それが今のデリバティブの起源になったと言われています。こういった動きにより、先物取引は日本各地に広がっていったのです。