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キャリタス就活 常見陽平スペシャルブログ

2015年10月6日

第1回『バカバカしいことを恥ずかしがるな!』

 「学園祭で、クマと対決します!」

 今から21年前の1994年の春、大学2年生だった私はこんな構想をぶち上げた。学内でビラを配ったり、教室の黒板の脇にこの件を書き告知した。「マジかよ」「馬鹿だな」「すげえ」という声が聞こえてきた。大反響だった。

 自己紹介をしよう。常見陽平41歳。千葉商科大学国際教養学部専任講師、働き方研究家というのが私の肩書きだ。大学生の就職活動、会社員の行方などをメインに働き方について研究している。1997年、日本経済に先行き不透明感がある中、私は社会に出た。リクルート、玩具メーカー、ベンチャー企業を経て一度フリーランスになり、大学院の修士課程に入りなおし、この4月から大学の専任教員になった。自分の働き方自体、紆余曲折、試行錯誤の繰り返しだった。この連載ではタイトルどおり、就活でのアピールなんてものを超えて、社会人になってから困らない大学生活の過ごし方について論じることにする。

 話を戻そう。学生時代、私は一橋大学世界プロレスリング同盟(HWWA)という団体に所属していた。学生プロレス団体だ。学園祭などでプロレスを実演する集団だ。単にプロレスの枠にとらわれず、私たちは仕掛けまくった。この大学をもっと楽しい場にしたい、大人を困らせたい、それよりも何かをやりたい、そんな衝動で取り組んでいた。単なる愉快犯だった。

 モテたいとか、就活のアピールに使えるとか、そんな打算はまったくなかった。せっかく受験勉強を乗り越えて志望校に入ったのに、プロレスごっこに興じ、毎週のようにマットに頭を打ちつけるという、非道い日々を送った。せっかく東京の大学に行かせてくれて、仕送りをしてくれた母親には申し訳なかったのだが。でも、間違いなく『熱い』日々だった。

 アラフォー男子の私は、いわゆる「プロレスゴールデンタイム世代」と言われる。そう、私が小学校の頃は金曜の夜8時、ゴールデンタイムにプロレスが生放送されていたのだ。アントニオ猪木、長州力、藤波辰爾、初代タイガーマスク、ハルク・ホーガンなど、他にもたくさんのスターが活躍していた時代だった。プロレスに夢中になった。

 ただ、中高生の頃はファミコンにハマったり、音楽にのめり込んだりして、プロレスとはしばらく離れていた。しかし志望校である一橋大学の赤本を手にとるたび、あるサークルのことが気になっていた。『一橋大学世界プロレスリング同盟』だ。なぜ「世界」とつくのか、まるで秘密結社のような「同盟」という名前。気になってしょうがなかった。

 大学の入学式での出来事だ。遠くから、元々の本家も上手だとは言えないNIRVANAの曲が、さらに輪をかけて下手くそな音で聴こえてきた。高校時代、軽音楽部の部長だった私は大学でもバンドをやろうかと考えていたのだが、この瞬間、「こんな奴らとの音楽に学生生活を捧げて良いものだろうか」と思ったのだ。そして覚悟が決まった。一橋大学世界プロレスリング同盟の門を叩く、と。はっきり言って、これは暴走族に入るような気分だった(入ったことがないが)。カタギの世界に別れを告げるようなものだった。

 一橋大学世界プロレスリング同盟での日々は、最初は楽ではなかった。毎週のように練習、スパーリング。興行の準備もなかなか大変だ。上下関係も当初は厳しかった。身体も細く、運動神経が優れているわけでもない自分は苦労した。だから徐々に、興行のプロデュースなどで力を発揮するようになった。仕掛けまくった。

昨年OB戦に出たときの写真

 冒頭に書いたクマとの対決もその一つだった。学内をアッと言わせたかったのだ。クマ牧場との交渉は不発に終わった。その代わりに、ぬいぐるみのクマや、タレントのレオナルド熊と対決しようという構想もあったのだが、それは違うだろうという話になり、やめた。

 他にも強さを証明するために、少林寺拳法部の演武に乱入し決闘を申し込みボコボコにされたり、学生から嫌われまくっている外国人英語講師に挑戦状を叩きつけリングにあげようとするが断られるなど(「あいつは逃げた」というビラを学校中に貼った)、馬鹿なことを一生懸命やった。学食付近でもよく乱闘した。突発的に起こったイザコザのはずなのにマイクが予め用意されていたり、乱闘終了後、すぐに後輩たちがビラを配り出すというのもツッコミどころだ。自分たちの宣伝のためにフリーペーパーを立ち上げたりもした。気づけば、学内で最も読まれているメディアになった。

 馬鹿なことを一生懸命やっていたら、仲間が増えていった。ネット編集者で有名な中川淳一郎もその一人だ。ある日突然、声をかけてくれた。「君と友達にならなければ、大学生活はつまらないと思ったんだ」と、彼は言った。

 下手くそだったプロレスも徐々に自分の味くらいは出せるようになり、タイトルをとったりもした。馬鹿なことをお腹いっぱいやった。野次は歓声に変わっていった。完全に私は天狗だった。

 そんな自信満々の私だったのだが、就活では苦労した。途中、完全に自信を喪失してしまったし、勉強も忙しいのでいったん就活をやめていた時期すらある。自分の勉強した分野を活かそうとか、好きなことを仕事にしたいとか、そんな方向に走っているうちに訳がわからなくなり、迷走したのだった。遂には、あれだけ自分が誇りに思っていた、学生プロレスのこともまったく口にしなくなっていた。何かこう、就活ではこういうことを言ってはいけない空気を感じたのだった。『内定が欲しい』ただそれだけのために、行きたくもない企業を受けたりもしていた。

 あまりに迷走している私を見て、盟友中川淳一郎が電話をくれた。「お前、そんなんじゃないだろ」と。この言葉で私は我に帰った。そうだ、私は何をやっているんだろう、と。別に洗練されたかっこいい活動をしていたわけではない。ただダサくて、モテない。でも狂信的に熱いことをやっていたのが私だ、と。面接で久々にプロレスの話をした。無我夢中で話した。面接の20分や30分で語りきれないくらいの話があった。何分話したかは分からない。いや、本当はきっと短かったんだと思う。でも、その瞬間、自分は自分に戻れたような気がした。その後の面接は快進撃を続け、むしろ評価されるようになっていった。

 就活というシステムは、なんだかんだ言って学生を型にはめてしまう要素があるのだと思う。企業としては実は学生の個性だとか、もっと言うと人間臭さを味わいたいのが本音なのだが。とはいえ、かっこ悪いことを恥ずかしがらないことで、私はカタめの企業含め、なんとか前に進むことができた。

 就活を終えた後、引退試合で、私はこんなスピーチをした。「強くなりたいなら、体育会に入った方がいい。モテたいならテニスサークルに入った方がいい。でも、僕は強いとかモテるとかよりも、一番、ドラマチックな男になりたかったんです」この試合とマイクアピールは私の卒業論文のようなものだった。もう恥ずかしさなんてものはまったくなかった。観客は泣いていた。

 さて、君は学生生活を送っているだろうか?学生にとって、バカは褒め言葉だ(たまに本当にとんでもないバカはいるが)。やれ学生団体を立ち上げた、テニスサークルの会長だった、有名なゼミに入ったとか、飲食店でコミュニケーション能力を学んだという美しい話も結構だが、それが本当のアナタなのか?本当は、バカなことを思い切りやった、最高に自分らしい瞬間というのもあったのではないか?そもそも、バカなことにマジである熱い学生生活を送っているだろうか?

 自分をさらけ出す勇気を持とう。いかにも作りこまれた美辞麗句よりも、大人たちは魂を感じる、本音の一言を聞きたいのだ。

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常見陽平Yohei Tsunemi

千葉商科大学国際教養学部専任講師/HR総研 客員研究員/ソーシャルメディアリスク研究所 客員研究員/株式会社クオリティ・オブ・ライフ フェロー
北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、玩具メーカー、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。雇用・労働、キャリアなどをテーマに執筆、講演に没頭中。代表作に『「就活」と日本社会』(NHK出版)『下積みは、あなたを裏切らない!』(マガジンハウス)『僕たちはガンダムのジムである』(ヴィレッジブックス)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)『就活の神さま』(WAVE出版)など。