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第6章 戦後70年間の金融ビジネスの歩み

国家と金融システム

金融ビジネスの歴史は「国の政策」を抜きにして語ることはできません。なぜなら、金融は経済活動の“血液”であり、マネー(資金)の流通なくして暮らしや経済は成り立たないからです。その循環が滞ると社会に大きな混乱が起こりますから、金融システムの管理は国家運営にとって大変重要な意味を持ちます。そのため、各国政府は自国の金融を監視するだけでなく、いくつもの規制や指導を通じてコントロールしてきました。

わが国の戦後の金融制度は、まさにそうした体制を強化することによって維持されてきたと言えます。その特徴は「銀行中心の金融システムの推進」であり、銀行と証券の業務の分離、長期・短期金融業務の分離、金利規制の実施、外国為替金融の専業化、郵貯資金を利用した政府系金融機関による支援の強化といった取り組みを軸に進められました。家計(国民)から集めた資金を銀行を通じて低い金利で企業に送り込むことにより、大企業の育成・成長を早めようというものです。
同時に、金融業界の安定を図るために「競争の抑制」も進められました。この政策は、一番遅い船の速度に合わせて、すべての船が一斉に目的地に着くよう船団を運行した方式にならい、「護送船団方式」とも言われました。

こうした取り組みは戦後の復興期から成長期へと引き継がれ、“奇跡”と言われた高度経済成長を推進したと評価されています。政府の旗の下、金融機関が船団のように足並みをそろえて活動する日本の金融システムは、成功のモデルケースとして海外の研究者から注目されました。
しかし、社債や株式の発行が業界の自主規制で制限されるなど、直接金融の育成と環境整備は、欧米に比べて遅れを取ってしまったと言えます。多くの企業が社債市場から閉め出され、銀行からの借り入れが資金調達の唯一の手段だったのですから、しかたがありません。同じように国民も銀行預金を選択するしか方法がないと思えるような環境に置かれていました。

戦後金融ビジネスの歩み

わが国の戦後の金融ビジネスの変遷は、以下の4つの時代に分けて考えることができます。

1946 戦後経済の再建と
経済成長の時代
銀行が金融システムの支配的な存在として機能し、国民の金融資産の大部分を集めて、その大半を大企業融資に向けていた時代です。金利規制や縦割りの業態別業務規制が厳しく、金融機関の自由な競争が抑制されていました。
1951
1956
1961
1966
1971
1976
1981
1982
1983
1984 金融ビジネスの
緩やかな変化が始まった時代
1983~1984年にかけて開催された「日米円ドル委員会」をきっかけに、わが国の金融自由化が始まりました。知名度のある大企業は内外の金融市場から低いコストで資金調達をするようになります。日本の大手証券会社や銀行はこうした仕事に関わることで、グローバル市場における金融スキルを高めました。バブル景気(1986~1991年)によって財務力を増した日本企業は、海外企業の買収に力を入れ、M&Aビジネスが金融業界で注目されるようになります。
一方、バブルが崩壊すると銀行は不良債権の拡大に、生命保険会社は逆ざや(顧客に約束した運用収益がマイナスになること)の増加に苦しむことになります。
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996 金融の自由化や制度改革、
業界再編が急速に進んだ時代
1996年に当時の内閣は、自由化の遅れを一気に取り戻し2001年までに東京市場をニューヨークやロンドンに並ぶ国際市場として再生させる「日本版・金融ビッグバン」の実施を決めました。この計画と並行して、保険分野をはじめ、さまざまな規制が緩和または撤廃となりました。
護送船団方式に代表される過保護な政策も廃止となり、長期信用銀行や大手証券会社などが相次いで破綻しました。バブル時代の“負の遺産”を抱えたまま厳しい競争の世界に船出した日本の金融機関にとって、もっとも厳しい時代でした。
1997
1998
1999
2000
2001
2001~2005    
2005 マネー資本主義の台頭と、
新たな挑戦の時代
国際的に金融自由化とグローバル化が進み、莫大なマネーが利益を求めて世界中を駆けめぐるようになりました。さまざまな金融市場が拡大し、「証券の時代」「マネー資本主義」という言葉が多用されました。
しかし、それを牽引していた米国の投資銀行リーマン・ブラザースが破綻(2009年)すると、金融の暴走に歯止めをかけようとする取り組みが広がり、「新しい秩序とモラルによる監督・監視体制の構築」が国際的に進められました。
欧米に並ぶ自由を手にした日本の金融機関は、統合や合併によって体力を強め、メガバンクや大手証券会社は国際的な有力プレイヤーとしての存在感を高めていきます。保険会社も統合や海外進出によって世界に広く知られるようになりました。日本の金融機関は欧米に比べてリーマン・ショックによるダメージが少なかったこともあり、2010年を境に国際競争力を増しています。
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015

米英がリードしてきた金融の制度改革

では次に、海外における金融の歩みを見てみましょう。
欧米においても1980年頃までは、それぞれの国でさまざまな規制がありました。とはいえ、英国や米国では債券や株式を使って資金調達するシステムが早くから整い、市場を通じて取引する有力な金融機関が数多くありました。米国の投資銀行(インベストメント・バンク)はこうした証券業務を専門に行うことで成長し、ネットワークを各国に広げていきます。

1980年代に入ると、大手企業の巨額な資金ニーズや、与信判断が難しい大型事業計画などが次々に登場します。従来の間接金融のシステムでは担いきれない状況が生まれ、取引のリスクを多種多様な投資家に分散できる直接金融の仕組みが、さまざまな形で用いられるようになりました。プロジェクトファイナンスや、融資と証券の手法を合わせたストラクチャードファイナンスも各国で利用されるようになります。そうした動きをリードをしたのは、市場を通じた取引の経験が長い英国や米国、欧州の有力金融機関でした。

コンピュータ技術の飛躍的な進歩が、金融取引や市場の拡大、金融技術開発を強く後押しした

市場を通じた取引が盛んになると、規制や制約は市場のメカニズムを妨げる要因になり、市場取引の魅力を奪ってしまいますから、「市場の自由度をできるだけ高めて、価格の形成などを市場原理(market principles)に委ね、政府は監視にとどまるべきだ」とする考え方が次第に支配的になりました。
金融の自由化にいち早く踏み切ったのは米国ですが、その後、1990年代後半にかけて多くの国が自由化に向けた金融制度改革を実施しています。なかでも、1987年に英国が行った大改革は「金融ビッグバン」と呼ばれ、歴史ある金融市場ザ・シティを大きく変えたと言われています。

また、金融のグローバル化が進めば進むほど、各国それぞれに異なる規制があるのは不便ですから、金融取引ルールの共通化を図るうえでも、自由化は必須のプロセスであったと考えることができます。
さらに、情報通信システムの革命的な発展と、コンピュータ技術の飛躍的な進歩が、金融取引や市場の拡大、金融技術開発を強く後押ししたことも見逃すわけにはいきません。

グローバル市場に挑む日本の金融機関

このような海外での変化は“外圧”として日本の金融システムを揺さぶりました。大手の銀行や証券会社は規制の緩やかな海外の市場に進出し、日本企業の資金調達などのサポートを手がけたり、プロジェクトファイナンスに参加するなどしてスキルを学び、先端の金融技術を身につけていきました。

1980年代半ばから少しずつ進められた制度改革により、1994年には「金利」が完全自由化となり、同じ頃に長期・短期の分離も事実上解消されました。銀行・証券業の分離においても、子会社方式による相互参入(たとえば銀行が証券子会社を設立)が認められ、その後、金融持株会社の下に銀行と証券会社がいわば兄弟として並ぶことも可能になりました。戦後最大の金融制度改革と言われる「日本版・金融ビッグバン」のプログラムが終了した2001年には、欧米に並ぶ金融環境が整ったと言えます。

2001年には、欧米に並ぶ金融環境が整った

かつては間接金融に遅れを取っていた直接金融(証券ビジネス)も、バブルの頃より存在感を高め、国内取引における制度整備も進みました。ホールセール分野において証券ビジネスは、銀行ビジネスと肩を並べるほどの主役に成長しています。リテール分野においては、国民の金融資産を証券市場に呼び込むことで、産業の活性化を加速させる取り組みに期待が寄せられています。

戦後の半世紀にわたり民間では難しい投融資や、民間金融の届きにくいところをカバーしてきた政策金融の体制は、すでに役割を終えたとする声が高まったことから、2008年に抜本的な統合・再編が進められ、現在は新しい形で産業や金融を支援しています。また、政府系金融機関が投融資を行う際の財源となってきた郵便貯金と簡易保険は、「官業による民業の圧迫」という批判を受けて民営化のプロセスをたどり、「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命保険」となりました。現在は政府100%出資の会社ですが、早期に政府出資比率を3分の1ほどに引き下げる予定です。

キャリタス就活の視点

  • 自由化(deregulation)、技術革新(financial innovation)、世界共通化(globalization)の3つのトレンドは、「マネー資本主義(グローバル資本主義)」という金融の歴史にこれまでなかったパワーを誕生させました。市場原理を最優先させ自由競争を推進させることこそ、もっとも効率的な金融の仕組みであり、さまざまな富の生産を可能にするというマネー資本主義の考え方は、多くのメリットを生み出す一方で、金融機関が抱えるリスクを拡大させていきました。
  • そうした金融システムに警鐘を鳴らし、金融は「マネーがマネーを産む装置」になってはならないと主張する人が増える一方で、「現代科学はリスクをコントロールできる」という過信も業界内に広がっていきました。そして、その過信がリーマン・ショックや金融危機を招いたと言えます。
  • そこから多くの反省が生まれ、これまでの規制とは異なる新しい国際的な監視の枠組みが構築されました。金融技術の進化が金融システムに危険をもたらしたわけではなく、その使い方や管理に問題があったわけですから、今後はそこで働く人の倫理観や人間性がより問われることでしょう。金融の仕事に携わる人は、「金融の持つ公共性」を強く意識してほしいと思います。
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